TOPインタビュー「自転車ってすごいんだってことを伝えたい」 サイクルフォトグラファー・辻啓さん

Interview インタビュー

「自転車ってすごいんだってことを伝えたい」 サイクルフォトグラファー・辻啓さん

辻啓(つじ・けい)

フォトグラファー。1983年大阪府堺市生まれ。関西外国語大学在学中の2004年にイタリア留学を経験し、ロードレースの世界にのめり込む。帰国後は東京都内でバイシクルメッセンジャーとして活動する傍ら、自転車メディアや関連メーカーをクライアントとして英語とイタリア語の翻訳業をスタート。やがて写真撮影に主軸を置き、2009年から海外レースの取材を始める。以降、ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアをはじめ世界各国のロードレースを取材。現地では撮影の他にも執筆や解説も行い、様々な方法でロードレースの魅力を伝えることを模索している。自身も生粋のサイクリストであり、仕事のオフシーズンである冬場にはシクロクロスにも参戦する。

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イタリア・シエナを自転車で走ってみたい

─学生時代から自転車が好きだったのでしょうか。

 元々、高校時代は釣りばかりしていました。バラマンディという魚を釣るため、毎年、約1週間オーストラリアに滞在するほど夢中で、渡航代を稼ぐためにコツコツアルバイトもしていました。現地で自然と英語も習得し、漠然と将来はオーストラリアで釣りの仕事をするものだと思っていました。

 しかし、現地で出会ったオーストラリア人に「今、人生を決めてはいけない。大学に行ったらたくさんの新しい出会いがある」とアドバイスをもらい、大学に進学することになりました。

 転機となったのは大学時代、イタリア・シエナの風景写真に出会ったことです。シエナはトスカーナ州にある、ストラーデ・ビアンケが開催される都市です。シエナの景色を見た瞬間、「ここを自転車で走ってみたい」という衝動に駆られました。手始めに旅行をしたところ、ますますシエナの魅力に取りつかれ「ここに住みたい」と、1年間シエナに留学しました。

─当時から、ロードレースについて詳しかったのでしょうか。

 高校時代から、家から10kmほど先にある釣り場に自転車で通い、「速く遠くまで行ける自転車は便利だ」と思っていましたが、あくまで交通手段。ロードレースに関してはツール・ド・フランスやアームストロングなど、有名なレースや選手のことを知っている程度でした。

 しかし、イタリアはテレビでレースを頻繁に放送するほど、ロードレースが浸透しています。現地に住む人は、自転車に乗るのもレースを観るのも大好き。仲良くなったイタリア人に誘われ、初めてロードレースを観戦しました。

─生で見るロードレースはいかがでしたか。

 交通手段だと思っていた自転車にプロフェッショナルな選手が乗ることで、驚くほど速く走れ、高い山にも上れてしまうことに感動しました。ロードレースのすごさを多くの人に知ってもらいたいと思ったのもその時です。

「撮る」だけでなく、「書く」、「喋る」を通してロードレースの魅力を発信

─仕事で自転車に関わりはじめたのはいつですか。

 留学から帰ってきて就職が決まらず、都内でメッセンジャーをしていました。生まれも育ちも大阪だったので、日本の中心である東京を見ておきたかったんです。

 同時に、自転車ポータルサイトで、記事やカタログの翻訳をする仕事を始めました。実は、自転車業界に入った最初の入り口は「翻訳」でなんです。

─そこからどのような経緯でサイクルフォトグラファーになられたのでしょうか。

 翻訳をしているうちに、「自分で記事を書いたらいいじゃないか」と思い執筆活動をスタート。書いているうちに、今度は「写真も撮ればいいじゃないか」とフォトグラファーの仕事も始めました。自転車の魅力を伝えようとしていたら、結果的に「執筆」、「撮影」と仕事の幅が広がっていきました。

 最初からフォトグラファーを目指していたわけではないので、撮影方法は完全に自己流。ただ、時代が良かったのでしょう。私が自転車の仕事を始めたのは、デジタルカメラが普及しはじめた頃。撮ったそばから、写真の良し悪しを確認することができました。また、当時は、TwitterやFacebookなどが世の中に広まりはじめていたため、SNSでも積極的に発信していました。

─今は、執筆、撮影に加え解説者としても活躍されています。

 そもそも、ヨーロッパではライターとフォトグラファーを兼任することはタブーとされています。お互いの領域を侵さないことが暗黙の了解。「フォトグラファーがジャーナリスティックなことを書くなんて」という文化があります。

 しかし、私がやりたいことはロードレースの魅力を伝えることです。「書く」「撮る」「喋る」と手段は違いますが、目的は一緒。目的達成のために動いていたら、自然と今のようなスタイルになりました。

サイクルロードレース中継では、自身の撮影の合間に、自撮りで現地リポートもこなす(辻さん提供)

─フォトグラファーに特化した話も聴かせてください。そもそも「サイクルフォトグラファー」とはどんな仕事なのでしょうか。

 レース、イベント、製品など自転車にまつわるモノ・コトを撮影しています。カメラマンといわれることもあるのですが、英語で「カメラマン」はテレビや映画の撮影でカメラを扱う人のことを指すので、フォトグラファーと名乗っています。解説の仕事をするときは便宜上、「サイクルフォトグラファー」という肩書を使っていますが、そもそも「サイクルフォトグラファー」という言葉が正しいものかもわかりません(笑)。

─辻さんが感じるロードレースの魅力を教えてください。

 身近な自転車で高い山に上るなど、クオリティの高いパフォーマンスを観られること。同時に景色を楽しめることです。

 景色という点では、箱根駅伝やマラソンと似ているかもしれませんが、自転車・特にステージレースは毎年コースが変わります。また、1日100~200kmを時速30~50kmと適度なスピードで走れます。だからこそ観光PRをしたい自治体のバックアップを受けて開催できるわけですが、そういった競技は珍しいですよね。「今年のツールはうちの家の前を通る」という会話ができるほど人々の生活に密着した競技です。

ツール・ド・フランス名物、ひまわり畑の中を進むレースの一団(辻さん提供)

─それが撮影する側の魅力にもつながる。

 ロードレースは、人々の生活や土地の特色を写真に込められる唯一のスポーツだと思っています。

 もちろん難しさはあります。出走人数は100~200人、天候にも左右される中で、レース展開がわかるような選手の走りと、土地の魅力が伝わる風景を同時に収めるのは簡単なことではありません。工夫をすればするほど無限のアングルと無数のバリエーションが生まれ迷うこともあります。ただ、だからこそ撮りがいがあるんです。

 ロードレースを知らない人に魅力を伝えるため「いいですよ、面白いですよ」と言ったとしても、日本では自転車競技=競輪と認識されることがほとんど。僕自身は、ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなどの美しい風景を切り口に、自転車の魅力を伝えたいと思っています。

─サイクルフォトグラファーとして必要な能力を教えてください。

 外国語や長距離運転、時差ボケに強いなどさまざまな要素があります。実は、撮影能力だけでなく、行く先々に溶け込み撮影環境を作り出せることが重要です。選手も同じでしょう。いくら能力があっても、言葉や生活環境でつまずけば実力を発揮できずに終わってしまいます。

─言葉の壁がある海外ですと、特に重要な要素ですよね。ちなみに、実際の撮影で大事なことはありますか?

 競技を知った上で、予測することです。選手それぞれのコンディションを把握しどの選手が勝ちそうか、下りでどのラインを走りそうかなど予測を立ててから撮影に臨んでいます。私自身が自転車に乗ることも少なからず強みになっているかもしれません。

 また、プロとして最も大事にしていることは、他の人が行けない場所で撮ることです。今はカメラの進化により、シャッターを押すだけでいい写真が撮れてしまう時代です。事前にGoogleストリートビューで予習をしたり、窓と窓の間から撮影したり、私にしか取れない写真を模索しています。

景色のアングルは地図やGoogleストリートビューなどを駆使して事前検討している(辻さん提供)

 難しさばかり話してしまいましたが、もちろん楽しいこともあります。フォトグラファーは選手に直接レースの写真を渡すこともあるので、自然と距離が縮まります。私自身は趣味で楽しく自転車に乗っていますが、自転車を極めた選手と話すのはとても楽しいです。フォトグラファーをしていて良かったと思える瞬間です。

目指すところは自転車の浸透

─今後どのように自転車が浸透していけばよいと思いますか?

 よく「辻さんはイタリアが好きですよね」と言われます。確かにイタリアは好きなのですが、私が理想とする国はオランダやデンマークです。イタリアは日本と同様に車社会で、普段の生活で自転車が活用されている都市は一部に限られています。一方、オランダやデンマークは移動手段として自転車が利用されています。

 私自身、競技の写真を撮ることが多いものの、本来の願いは日常生活における自転車の普及。今は5万円強で自転車が手に入る時代ですが、「自転車ってすごいスピードが出る、遠くまで行ける。やっぱり自転車ってすごい」ということを伝え、通勤をはじめとした移動手段などに自転車を利用してもらい、人々の生活により自転車が浸透していけばいいなと思っています。

 また、最近、「ハイグレードで高価格な自転車、ミドルグレードで低価格な自転車どちらを買った方がいいと思いますか?」という質問を受けました。私がおすすめするのはミドルグレードの自転車です。ミドルグレードを購入し、余ったお金を使って遠くまで出掛けてサイクリングを楽しんでほしいと思っています。趣味は体験にお金を使った方が続くものです。以前、日本に来た外国人観光客を案内したことがあります。内容は、東京から金沢、京都までいく1週間のサイクリングツアー。外国人は体験や経験に価値を置く人が多いんです。もちろん機材にお金をかけることも魅力的ですが、個人的には自転車に乗ってさまざまな体験をする人が増えればいいと思っています。

─本当に自転車が好きなんですね。

 ロードレースの撮影で何千キロと車を運転する私がいうのもなんですが、速く、遠くまで行ける自転車が大好きです。実際、普段の生活では自転車ばかり乗っています。いろいろな活動をしていますがやっぱり「自転車が好き」な気持ちが根底にあります。