スポーツマッサージはサイクルロードレースとともに発展してきた

中野喜文(なかのよしふみ)さん
1970年4月5日生まれ。青年時代は自転車競技に打ち込み、そこで出会ったスポーツマッサージの道へ。1998年にリーゾ・スコッティに研修生として加わり、日本人マッサーとして初めてジロ・デ・イタリアよツール・ド・フランスに帯同。1999年にカンティーナ・トッロ、2000〜2005年はファッサ・ボルトロ、2006〜2010年はリクイガスと、イタリアのトップチームに所属しマッサーとして活躍した。2014年に「エンネ・スポーツマッサージ治療院」を開業。

—中野さんは長年、ヨーロッパのサイクルロードレースの現場で、選手にマッサージを施術する「マッサー」として活躍されてきたわけですが、サイクルロードレースにおけるマッサーの役割について教えてください

 自転車競技におけるマッサージ師、マッサーは、さまざまな仕事をしています。ツール・ド・フランスのような大規模なステージレースになると、スタッフの数も増えます。選手9人に対して、マッサーが5〜6人。多いチームで8人といったような体制になるんです。競技時間も長ければ移動距離も長く、ホテルからホテルへの移動の連続で、毎日が引越しのよう。その中で選手に施術をしている時間というのは、1日2時間くらいです。それ以外の時間はクルマを運転していたり、補給食やボトルを作ったり、ゴール直後の選手に渡すボトルに入れる氷を手配したり、とにかく手の空いている者が率先して効率よく仕事をしていかなくてはいけません。
 マッサージ師になった当初は自転車業界の仕事をしていたわけではなく、治療院で施術をしていたのですが、自転車のプロチームで働くようになったとたん、クルマの運転をしなくてはいけない。少し戸惑ったのは確かです。

—自転車選手におけるマッサージの重要性とは、どんなものでしょうか

 100年を超えるサイクルロードレースの歴史の中で、マッサーの存在はかなり初期からあったと思われます。ヨーロッパにおけるスポーツとマッサージの結びつきは、サイクルロードレースとともにあると言えます。
 サイクルロードレースは疲労との戦いです。マッサージをすると疲れが抜けるということを経験し、それが一般化していきました。昔はドーピングが蔓延していましたが、1998年のツール・ド・フランスで大きなドーピングスキャンダルがあり、それ以降アンチドーピングの方向へと進んでいきます。競技がクリーンになると、おのずと回復についての研究が進み、睡眠、食事、そしてマッサージがより一層重要視されるようになりました。
 人間はメンテナンスが大事なんです。20歳くらいまでは若いのであまり必要ないでしょう。しかし、それを過ぎると回復力が落ちていったり、痛いところが出たりといったことが起きます。選手として1年でも長くやろうとするならば、体のメンテナンスが必要です。
 疲労には、その日の疲労もあれば、長きにわたり蓄積した疲労もあります。また、加齢に伴い股関節の屈曲可動性が狭くなるなど、パフォーマンスが落ちていく。自転車競技でも、フルタイムワーカーと競技を両立させている方だと、日頃の仕事による疲れもあるでしょう。そういった疲労を回復させるのに、マッサージが手助けになります。
 気持ちよくライドするためにも日頃のメンテナンスが重要なのは自転車と同じですね。

—若いころ自転車競技をされていたそうですが、当初から「自転車選手を施術するマッサー」を目指していたわけではないのですか?

 1990年前後に、国内の有力チームで競技に取り組んでいました。その頃から治療院でマッサージを受けていて、こういう職業もあるんだなと知り、影響を受けたんです。行きつけの自転車店には海外の自転車雑誌が置いてあって、マッサーが選手にサコッシュを渡したり、オイルマッサージを施術したりといった写真が出ていたんです。また、NHK-BSで放送されていたツール・ド・フランスに、ベルナール・イノーがマッサージを受けているシーンが出てきたりとか。自転車競技にマッサーが大事なんだと知りました。
 ただ、スポーツマッサージの道に進みたいとは思ったのですが、自転車競技に関わることは、目標ではなかったんです。日本のプロ野球や、舞台系の楽屋での施術などをやりたいというのが希望でした。実際に鍼灸マッサージ師となって、有名な治療院に入ることができ、また、かつて自分が所属していた自転車競技チームの横のつながりなどもあり、徐々に自転車業界に話が伝わっていったようです。世界ジュニア選手権の日本代表に帯同させてもらうなど、徐々に自転車と関わるようになりました。

—海外で認められるまで、大変だったことはありますか。日本人、アジア人であることが不利に感じることなどはありましたか?

 1998年に、紹介で「リーゾ・スコッティ」というチームで、研修生という立場でマッサーをやり、ジロ・デ・イタリア、そしてチームがワイルドカードで選ばれたことでツール・ド・フランスに帯同することができました。リーゾ・スコッティは選手への賃金未払いなどがあり空中分解し、日本に帰るつもりだったのですが、他チームに移籍する選手から声をかけられて、いっしょに「カンティーナ・トッロ」というチームに移籍しました。
 そうやってイタリアでのキャリアをスタートさせたのですが、日本人だから、アジア人だから苦労したというふうには感じませんでした。もちろん、イタリア語ができないことには埒が開かないのは確かですね。マッサーとして選手を施術すれば、あまりコミュニケーションが取れなくても、選手はマッサージで評価してくれる。日本でも厳しい環境でやっていましたから、そこは自信がありました。ただ、マッサージ以外のチームの仕事がうまくできないので、同僚からは冷たくされたりもしました。そういったことが払拭されるようになったのは、やはりコミュニケーションがしっかり取れるようになって、同僚や監督から安心してもらえるスタッフになってからです。
 日本人でよかった面もあります。オイルを使わないマッサージや鍼治療など、日本流の技術に対して、同僚がリスペクトしてくれたことです。「それ、俺にも教えてくれよ」と言われたり。日本の技術を持っていることで助けられた部分はありますね。

—日本に帰国されるきっかけはなんだったのでしょうか。そして、今の活動について教えてください

 イタリアでマッサーとして活動を始めた頃、チームとしての仕事のレベルが、あまり高くないと感じました。一方で、日本でいっしょに仕事をしていた同僚は、日本のプロ野球チームやJリーグのクラブと契約するなどして、どんどん出世していく。これはヤバいなと感じていました。しかし「ファッサ・ボルトロ」にいたとき、マペイから一流のマッサーが移籍してきて、その人の仕事ぶりに衝撃を受けました。自分が「こうなりたい」と思える人が現れて、救われた思いでした。
 マッサージ師としてのキャリアが10年になる頃には、ファッサ・ボルトロでチーフマッサーになり、当時はイタリアに永住するつもりでいました。その後「リクイガス」に移籍して、2009年くらいから、日本で先を行っていた(スポーツマッサージの)人たちに追いついたというか、経験を積んだもの同士として、ようやくフラットに話せるようになったんです。だんだんと(かつての同僚が先を行っているといったような)悩みもなくなっていって。そして、自転車競技のマッサーとしては十分やったのではないか、このままイタリアにいるのはもったいないんじゃないかと思うようになりました。施術家のゴールはシャンゼリゼにたどり着くことではなく、ベッドを前にして患者さんとじっくり向き合うことですから。
 2011年に日本での活動をスタートさせて、2014年に今の治療院を開業しました。競輪選手や自転車ロードレースの選手、陸上選手など、さまざまなスポーツ選手の方々に施術しています。今は、自転車ロードレースのマッサーとして自分が現場に立つことはあまりなく、スポットで行く程度で、主に後進の育成に力を入れています。

—スポーツ用自転車を趣味にする人は、どのようなセルフケアが効果的ですか?

 いちばん大切なのは、セルフマッサージなどよりも睡眠です。少なくとも1日6時間、しっかり睡眠をとってください。そして、食事は3食ちゃんと食べて、しっかり栄養を摂りましょう。食事が過多であってもいけません。睡眠不足という方は、かなり多いかもしれませんね。こういった基本的なことができてこそのスポーツマッサージです。セルフケアも、ちゃんとやらなければ意味がありません。自転車のメンテナンスと同様にプロに任せるというのもひとつ。ぜひいちど、プロの施術を受けてみてください。

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